■携帯電脳遊戯最強伝説 符咒バトラー壬生!
  第4話「いい大人がなんて格好してるんですか、館長」
2006 the reverse side of a hanging scroll : recharge


 

 

 

「1024、1025、1026……」

 人気のない道場の真ん中で、壬生の数える孤独なカウントだけが聞こえてきた。
 符咒封録をプレイする際、最も起こりやすいケガは突き指だと言われている。
 白熱したゲームの中、ついついボタンを押す指に力が入りすぎてひねってしまい、病院に運ばれるという事故が全国の小中学校でも問題になっていた。骨を折る子も少なくないという。
 嘆かわしいことだと壬生紅葉は思う。
 日々の鍛錬無くしてうかつにバトルに挑んではならない。符咒封録は決して安全な遊びではないのだ。
 今、拳武館道場での指立て伏せが1000を超えた。
 ただの指立て伏せではない。符咒封録のROMを2つ縦に置いて、その上に親指を乗せての指立て伏せだ。
 名づけて「ROM立て伏せ」―――1日に2000回を日課にしている。
 事故を未然に防ぎ、健全なるバトルを楽しむには最低限必要な努力だ。
 この程度の努力無くして符咒封録などやってはいけないのだ。
「1999……2000!」
 そのノルマを終えて、壬生は汗を拭った。
 拳武館の黒い道着の背中が濡れている。スポーツドリンクを一息飲んで失った水分を補給する。
「ふぅ……」
 壬生紅葉の朝はこうして始まる。今日もまた、符咒バトラーとしての苛烈な1日が幕を開けたのだ。
「これでまた一歩、最強に近づいた」
 実際には符咒封録と指力はまるで関係ないのだが、要は気持ちの問題だった。

「ククク……その程度で最強など笑止」
 だがそのとき、道場の障子の向こうで壬生紅葉を嘲笑う謎の影が現る。

「……あ、館長?」
「館長? 一体誰のことかね?」
 だが影はそんな壬生の言葉を否定しつつ、スラリと障子を開け放った。
 立っていたのはダークスーツに身を包み、ロングソバージュにヒゲをたくわえたごついおっさん。
 その身を包む黒いマント。そして蝶をあしらったマスクが朝から胸を悪くするようなキャラの濃さを印象付ける。
 果たして、一体何者なのか―――?

「いい大人がなんて格好してるんですか、館長」
「フッ、だから君の言う館長とかいうのが誰のことなのか分からないし、そもそも私とは無関係な人なのだと思うし、君も少しは空気を読んで発言するべきだと私は常々指導してきたわけで、いやだけど私は館長などとは関係なく、人は皆、私のことをこう呼ぶ―――」
 男はマントを翻し、高らかに薔薇を撒き散らしながら宣言した。
「符咒マスター!」
「へぇ、館長も符咒封録買ったんですか?」
「うむ、こないだゲオでな。いや違う。私は館長ではなく符咒マスター。符咒封録を極めし一族の生き残りで王の末裔。かつて帝国の野望の前に崩れ去った小惑星連邦の最後の希望として脱出ポットに乗せられた赤子の私は、辺境の惑星チキューで人間として育てられた。しかし帝国の魔の手はチキューにまで迫り、あわやというところで次元転送してやってきたフジューラ姫にGBAを渡され、ようやく私は本来の自分を思い出すことができたのだ。そして次々と襲来してくる帝国戦士よりチキューを守るため、日夜符咒バトルに挑みつづける私は人呼んで符咒の貴公子・符咒マスター。宇宙の符咒バランスを乱す者は、私が許さん! ちなみに普段は一般人として生活を送っているが、符咒に関する不穏な動きには敏感に察知して私は符咒マスターに変身する。しかし孤立したチキューではエネルギーの補給を受けることができないため、変身時間は1時間と限られているのだ。あと私にGBAを渡したフジューラ姫も普段は花屋でバイトする可憐でちょっぴり勝気な女性であり、お互いを意識しつつあるが、平和を取り戻すまでは、とこれといった進展もないがいい感じではある。しかし最近、帝国の皇子が何かと彼女にちょっかいを出してくるのが気に入らないと私は思っている。ゆるさん。私のフジューラ姫に」
「そういう細かい設定はストーリーに絡めて徐々に説明していくべきですよ」
「君は確か紅葉君とかいったな? 宇宙の符咒バランスを乱す者は、私が許さん!」
「その決め台詞らしきフレーズも、今の説明の合間にもう言っちゃってますから」
「言い残すことはそれだけかね? 言っておくが、容赦はせんぞ!」
 符咒マスターがマントを再び翻すと、そこからアズライトブルーのGBAが現れる。
「勝負!」
「いいですけどね。負けても泣かないでくださいよ」
「フッ、弱い犬ほどよく吠える。ところで、対戦とはどうやってするのかね?」 
「あぁ、この通信ケーブルで互いのGBAを繋ぎます。カードのトレードもできるんですよ」
「ふむふむ、な〜るたき。すごいものだな」
「…これでよし。では始めますか?」
「いや、ちょっと待ちたまえ」
「なんでしょうか?」
「君は自分で組んだデッキを使う気か?」
「ええ、まあ。といいますか、それが対戦ですし」
「語るに落ちたな。その手は食わんぞ!」
「なにがですか?」
「ずるいぞ、紅葉! 自分だけ強いデッキを作って!」
「僕だけって。みんなやってることです」
「今日のルールは私が決めさせてもらう。依存は無いな? うむ、無いんだな」
「……はい」
「今日の対戦テーマは―――『初期デッキ対戦』だ!」
「初期デッキ対戦?」
「未開封のROMは持っているな?」
「ええ、先日、如月さんの店からごっそり持ってきてますから」
「本日の対戦で使用するのはそのROMだ……つまり、己の生まれ持ったパラメータだけで勝負を決める!」
「!? なんですって!?」

 符咒バトル。それはすなわち戦略と生き様のぶつかり合い。
 己が知恵を振り絞り、練り上げられるデッキ。そしてそこに込められたこだわり。人生。
 デッキとは、1人の人間の生そのものと言ってもいい。
 初期デッキから始まり、そこから自分自身のデッキへと成長させていく中で《念》は鍛えられるものだ。
 霧島は敬愛する京一のために。如月は自分自身の属性への愛着に。そして紫暮は舞園に捧げる愛のために。
 その構成にいかなるテーマを込めるのか。あるいは、勝利のためにそれを捨てるのか。
 厳しい取捨選択を経て完成されるデッキは、それゆえに人生にも似ている。
 だが初期デッキとは……無防備な赤子のようなもの。
 天から与えられたプロフィールだけで作られるそれに、戦略や目的などない。
 互いの《念》を戦わせることに意義を持つ符咒バトルにおいて、初期デッキでの対戦など壬生は考えもしなかった。いわば全てを剥ぎ取られた上での丸腰の戦い。バトルを知り抜いている男だからこそ、そのような条件でのバトルなど思い描きもしなかったのだ。
(さすがですね……館長)
 だが、素人である鳴瀧が勝利を拾うことができるとすれば、まさにそういう戦いの中のみであろう。
 買って間もないはずなのに、そこまで符咒バトルの本質を見抜き、そして自分に有利な土俵を作り上げるその確かな眼は、まさに歴戦の戦士としか言いようが無い。
 恐るべし、符咒マスター!
 この勝負……符咒バトラーは受けるのか!?

「別にいいですけど」
「おっけー。それじゃ、さっそく第1話までクリアしたまえ。私も頑張ってクリアするから」
 軽い気持ちで勝負を引き受けた壬生と符咒マスターの二人は、しばし無言で符咒をプレイしていた。
 久々にストーリーをプレイしてみると、なんかこのシルエットの女って触覚が昆虫みたいで気持ち悪いと壬生は思った。
「もういいかね?」
「ええ。第1話はクリアしました」
「私もだ……では、初期デッキ対戦、始めるぞ!」


   バトルスタート!


 先手は壬生が取った。
 配られたカードには、当然ながら強力な符はない。
 無難に土地符と『狂犬』を出してターンを終わらせる。
「フフ、その程度かね?」
 符咒マスターは余裕の笑みを浮かべる。
 確かに壬生も自分自身のデッキに不甲斐なさを感じているが、それは相手も同じこと。
 高度な戦略を奪われている今の状態では、着実に手持ちの符で体力を削りあうしかない。
 挑発に乗ることはなく、壬生は冷静に相手の出方を伺う。 
「それでは、私のターンだ」

 『物忘れ』

「なっ!?」
 壬生の手持ちカードから法術符が消えた。
 それよりも驚嘆したのは、初期デッキでは出るはずのないカードを符咒マスターが出したことだ!
「どうした符咒バトラー……君の番だぞ?」
「いや、待ってください! いまの符は、初期デッキで持てるようなカードじゃない!」
「フフ、それがどうした? 勝負はもう始まっているんだぞ。さぁ、次は何を出す? 『巡り逢えし友』かね? それとも『下忍』かね? いいとも、最初は君にも遊ばせてやろう。ちまちまと私の体力を削っているといい」
「まさか、あなたは……僕を騙したのですか!?」
 考えられるのは一つ。初期デッキだというのは真っ赤な偽り。符咒マスターは、すでに自分のデッキを確立させている。
 おそらく、壬生に気づかれぬようROMをすりかえたのだろう。
「騙した? 人聞きの悪いことを。私は君を騙したのではなく……からかっただけなのだよ」
「なんて……なんて人なんだ!?」
「ではどうする? この勝負を無効だと訴えるかね? 僕の負けでした、と認めて電源を落とすかね? 私はどちらでも構わないよ。君が、自らこの勝負を降りることには変わりないのだからね、符咒バトラー?」
「くっ……!」
 勝負は通信ケーブルを差し込む前から始まっている。
 かつて霧島や如月に対して、壬生が勝利の追い討ちとして口がすっぱくなるほど言ってやった言葉だ。
 自分自身の甘さを呪うしか今の壬生にはできない。相手がいい年したおっさんだと思って油断していた。
 子供でもしないような卑怯な真似を、平気で行う人だということを忘れていたのだ。
 屈辱が、壬生の心を焼き千切る。冷静さを奪い取る。
「まだ……まだ負けではありません!」

 『薫風の乙女』

「ハッ!」
 壬生の出したカードに符咒マスターは嘲笑する。壬生の苦し紛れの一手に、鼻水が出るほど吹き出したのだ。
「じわじわと……君から戦意とプライドを剥ぎ取ってやろう!」

 そこからの符咒マスターの手はいやらしさを極めた。
 相手の手札を捨てさせる符や、初期デッキには見られないようなレア符の数々。
 しかも壬生が出す手札を失ったとみるや、ATの低い符に交代して戦闘を引き伸ばす。
 苦痛、屈辱、地獄のような戦闘が壬生を打ちのめす。すでに意識は限界。残された精神力はあと僅かというその時。
「……よくぞここまで持ちこたえたな。だが、もう楽にしてやる」

 『陰の武道家』

「うわああああ!?」

 絶叫を残して、壬生の手からGBAが滑り落ちた。
 誰がこんな光景を予想しただろう。あの最強に最も近かった符咒バトラーは無名の男に敗れ去ったのだ。
 朦朧とした瞳に映るのは、自分を倒した符咒マスターを名乗る男。
 誰よりも壬生が信頼していた男。武の道で尊敬し続けた男。
 自分はまだまだ、符咒バトルにおいてですらこの男に勝てないのか。
「鳴瀧……館長……」
 ぐらりと壬生の体が崩れ落ちる。
 悲しげに視線をそらす符咒マスターの姿を最後に、壬生の意識は暗いところへと落ちるのだった。

「……紅葉」
 符咒マスターは、静かに壬生に語りかける。もう届くはずのない言葉を。
「ところで、小学生が符咒でつき指してるなんて、そんなわけないじゃないか」




「……紅葉、おい、紅葉!」
「!」
 次に目を覚ました時、壬生は館長室のソファーに寝かされていた。
 目の前には、心配そうに覗き込む鳴瀧の顔があった。
「……符咒マスター?」
「フ、誰かね、それは? 私だよ、鳴瀧だ」
 柔らかに微笑む鳴瀧の顔には、確かにあのパピヨンマスクはなかった。
「……館長?」
「あぁ、私だ、鳴瀧だ。なにかね、その符咒マスターとは? 私の姉が経営している喫茶『腐女子』のマスターのことかね? それなら私のことだがね、フフフフフ。それより、大丈夫か具合のほうは?」
 どうやら本人はとぼけているつもりらしいので、壬生は仕方なしに話を合わせることにした。
「いえ、どうやら……悪い夢を見ていたようでした」
「そうか。道場で倒れている君を見かけてここまで運んできたのだが……もう大丈夫のようだな」
「はい。ありがとうございます」
 ソファーから身を起こして、壬生は館長室を見回した。
 机の上にGBAとパピヨンマスクとマントが置きっぱなしだが、とぼけなければならないのだろう。
「いったい何があったのかね? あんなところで君は何をしていたんだ?」
「……特訓をしていました」
「特訓? 良かったら、私にも話を聞かせてくれないか?」
 それから壬生は今までのことを改めて鳴瀧に説明を始めた。
 符咒バトルで最強を目指しているということ。
 そのために日々いろいろな敵と戦い続けているということ。
 そして今日、符咒マスターと名乗る男と戦って卑怯な負け方をしたということ。
「ふむ、な〜るほど。いや、な〜るたき」
「それ流行らせようとしているのかもしれませんけど、絶対ムリですよ」
「君の事情はよく分かったよ。だが、私は賛成できないな」
「なぜですか?」
「符咒封録など、たかが遊びではないか。最強を目指すようなことかね?」
「!? 遊びですって!? そんなことはありません! 符咒バトルとは己の生き様と青春の全てを注ぎ込んだ―――」
「くだらん。そのようなことにうつつを抜かしている暇があったら、もっと武道に打ち込んだらどうだ!」
「―――ッ!」
「拳武館最強などと持ち上げられ、自分を見失ったか? 私に言わせれば君などまだまだ未熟者……遊びに精を出してる時間があったら、少しでも技を磨くべきだ」
「ですが、僕にだって武道以外にもやりたいことが……」
「それがあの電脳遊戯かね? 君が武道以外に見出したのが、あのくだらない遊びかね?」
「僕は符咒バトルで最強になりたい……それが偽りのない僕の気持ちです!」
「だが、君はそこでも敗れた」
「!?」
「その符咒マスターとかいうカッコイイお兄さんは、君に教えたかったのではないか? しょせん君はその道でも最強にはなれぬと。君の生きるべき道は、拳武館でひたすらに武の道を鍛えることだと」
「ですけど……」
「紅葉。君が拳武館の外に生きる道を見出すことには、私は反対しない。だが符咒封録は止めておけ。君にはあのような指遊びなど向いてはいないのだ。だって今まで蹴りばかり鍛えてきたのだからな」
「それでも、僕は強くなっていた。今日、あの卑怯なやり口に騙されるまでは負けなしだったんです!」
「卑怯ではない。駆け引きだ。全然卑怯じゃなかったし、むしろ正々堂々だ。まあ、それはともかく、少し頭を冷やすべきだな」
「……そんなこと、言われても……」
「まったく、あんなゲームのどこがいいんだ? カード整理もやりずらいし、句会なんて攻略を見ないとレア符なんて見つからないし、神だの十罪だのストーリーは訳分からんし、おまけにすぐにバグる。バグったらまたカードの集めなおしだ。クソゲーもいいとこじゃないか?」
「……それについてはノーコメントです」
「だいたい、最強を極めるなどくだらない……そのおかげで、龍麻は……」
「龍麻?」
「ん? いや、なんでもない。とにかく、符咒封録は止めておけ。君のためにならない」
「…………」
「紅葉」
「…………」
「拳武館館長として君に命ずる。通信ケーブルを渡したまえ」
「……はい」
 ポケットから取り出した通信ケーブルを鳴瀧に渡した。
 それを受け取って鳴瀧は両手に握り締めた。

「君を惑わす符咒バトルなど封印してやる……こうだッ!」
 両手いっぱいに広げた通信ケーブルはビィンと胸元で伸びきった。
 赤面した鳴瀧は次にケーブルの片方を靴で踏みつけ、思いっきり背筋を使って通信ケーブルを断ち切った。
「こうだッ!」
「!?」
 目の前で無残に引きちぎられた通信ケーブルに壬生は言葉を失った。その壬生の膝元に2つに分かれたケーブルを落とし、鳴瀧は冷酷に告げる。
「忘れるんだな……これでもう、君は2度と符咒バトルはできない」
 なんと非情なる師の言葉。
 呆然とケーブルに視線を落とす壬生の肩をポンと叩くと、鳴瀧は静かに館長室を後にした。
「……そんな……」
 ただ1人残された壬生は全てを失った落胆に呟く。
 それから、しばらくは思考が停止したように固まっていた。
 途中、パピヨンマスク等を忘れたことに気づいた鳴瀧がバタバタと部屋の中に入ってきたが、そのことにさえ気づかなかったほどに。
 それからどれほどの時間が経った後であろうか。
 ようやく表情の動いた壬生が浮かべたのは、自嘲的な微笑みだった。
「……ゲームオーバー、か」
 誰もいない館長室で、壬生は一人、嗚咽を噛み殺す。

 

 ―――都内、某病院。

「……母さん」
「あら? 紅葉、いらっしゃい」
 白く静かな病室に、窓から涼しげな風が入り込んでカーテンを揺らしている。
 どれほどの悲しみを抱えていようと、母の見舞いを欠かすことのない壬生だった。
「どうだい? 体の調子は?」
 その表情には、先日の屈辱的な敗北の影など微塵も見せない。
 長年、暗殺者として鍛え上げられた鉄面皮が、このような形で役に立つとは。
「ええ。おかげさまで調子はいいのよ。もうすぐ退院できるんじゃないかしら」
 ほがらかな母の笑みは、いつでも優しく壬生を包み込んでくれる。
 壬生は心にぽっかりと空いた傷口が癒されていくのを感じた。
 しかし、言うべきことは言わなければならない。
「さっきそこで看護婦さんに怒られたよ。元気なのはいいけど、屋上で患者さん集めて焼肉なんてやっちゃ駄目だよ」
「あらやだ。ごめんなさい。母さん、ハラミを腹いっぱい食べたかったの」
「まったく。自分が病気だっていうこと自覚しなきゃ」
「フフ、紅葉に怒られちゃった」
 そういう母も壬生もどこか嬉しそうだ。
 母子2人、助け合って生きてきた絆がそこにある。
「あと飲んだ後のビール瓶くらい片付けろってさ」
「もう、うるさい看護婦さん。たまの楽しみくらい、いいじゃないの」
「そんなこと言って、また怒られても知らないよ?」
「フフ、大丈夫よ。母さん、こないだの葛飾女相撲大会でも優勝したくらいですもの。小娘みたいな看護婦さんなんて怖くなんてないわ」
「まったく、母さんにはかまわないや」
「フフフ」
「…………」
「どうしたの? 紅葉?」
「いや……母さんって、どうして入院してるんだっけ?」
「げほげほ、げーほげほ」
「母さん!? 大丈夫!?」
「ごめんなさい。急に具合が……」
「ムリしちゃ駄目だよ。横になりなよ」
「ええ、紅葉。そこのタバコ取ってくれる?」
「うん」
「ふう、すぱー……ありがとう。だいぶ落ち着いたわ」
「よかった」

 静かで穏やかな時間だった。
 符咒を失った悲しみも敗北した悔しさも、全てそこに溶けてしまうように思えた。
 この優しい時間を守るのが自分の仕事。そう自分に言い聞かせて壬生は符咒のことを忘れようと決意する。
 他に必要なものなど、何も無いのだから―――。

「……どうしたの? 紅葉?」
「え、なにが?」
「いつもより元気がないみたい」
「ハハッ、そんなことないよ」
「嘘おっしゃい。隠しても無駄よ」
 たしなめるような口調で、だが寂しげに壬生の母は言った。
「あなたって、いつもそうやって周りに心配かけないように微笑むのね。母さんの目はごまかせないのよ」
 だが、すぐにその表情は和らぎ、慈しむように壬生を見つめる。
「紅葉は優しい子ね……ふふっ、本当、あなたもあの人に似てきたわ」
 母の手が、ベッドサイドに飾られていた一枚のフォトスタンドを取り上げた。
 そこに写っていたのは、カメラに向かって微笑みを浮かべる、1人の優しげな青年だった。
 母は青年と壬生の顔を見比べ、愛おしむように写真の微笑みを指でなぞる。そして、まるで少女時代に戻ったかのような、うっとりとした微笑みを浮かべるのだった。

「ヨン様───」
「母さん、僕とその人は似てないし、似る理由もないし、せめて父さんに似てきたと言って欲しいし、むしろ父さんの写真も飾ってやって欲しいよ」
「父さんの写真なら、そのへんにあるわよ」
 ヨン様グッズの山奥あたりを母は漠然と指さしたが、探すのが面倒そうなので「あ、そう」とだけ壬生は言った。

「そんなことより、紅葉。あなたを悩ませているのは……符咒マスターのことね」
「!? どうしてそれを!?」
「母さん、見ちゃったの。拳武館でのあなた達の死闘を」
「そんな……」
「たまたまいつものジョギングコースを外れて、あなたの通っている高校を見ようと思ったのが運のつきだったわ。まさか息子がコテンパンにやられる姿を見ることになるなんて……」
「違うんだ。あれは館長が卑怯な手で―――」
「でも、負けは負けよ」
「…………」
「紅葉。顔を上げなさい」
「母さん……」
「勘違いしないで。母さん、あなたが勝負に負けたことを責めてるわけじゃないの。ただ、心まで負けてしまってることが心配なの」
「心?」
「そうよ。たった一度の敗北で全てを捨ててしまうというの? そんなの私の紅葉じゃない。今のあなたは負け犬よ。犬よ」
「母さん……」
「もちろん、精神的に犬って意味よ。何もあなたに尻尾とか毛皮とかごわごわした肉球があるんじゃないかって言ってるわけじゃないわ。そこは私だってあなたを産んだ母ですもの。あなたに尻尾が生えてるかどうかくらい知ってるわよ」
「分かったから、早く続きを言ってよ」
「ねぇ紅葉、思い出して。あなたは何のために戦っているの?」
「僕の戦い?」
「そう、どうしてあなたは符咒バトルの世界に身を投じたのか、それを思い出して」
「僕は……」
「思い出して。あなたがそのデッキに込めた思いを―――」

 壬生はそれまでの戦いを振り返った。
 数々のライバル達との死闘。その中で見てきたものを。
 霧島は敬愛する先輩のデッキを―――。
 如月は自分の属性を表現するために―――。
 紫暮は熱烈に信奉するアイドルの親衛隊を―――。
 それぞれが、自分の信《念》に基づいたデッキを作り上げていた。それはもう、一つの世界と言ってもいいくらいに、眩く輝いていた。
 ならば自分は何のためにデッキを組み立てているのだろうか?
 敬愛する何かのためか? 表現したい何かのためか? それとも誰かに捧げるためか?
 いや―――。

「……ただ単に勝ちたいだけかな?」
「それでこそ私の息子よ、紅葉。勝てば気持ちがいいもの。それだけなのよ」
「はぁ」
「考えてもみて。デッキに愛だの自己表現だの込めてもしょうがないじゃない。要は相手に勝てばいいのよ。そう思わない?」
「そうだった……」
「符咒マスターに負けたからって、それはあなたの初期デッキが負けただけ。あなたの符咒が負けたわけじゃないのよ」
「僕の符咒?」
「ええ、あなたの符咒。どんな相手にも負けない、ていうか相手に勝つためだけに組んだあなたのデッキ」
「勝つための……」
「立ち上がって、紅葉。もう一度符咒マスターと戦うの。そして、今度こそコテンパンにやっつけてやりなさい。あんな汚らしいヒゲオヤジ」
「だけど僕には、通信ケーブルが……」
 母は黙って、紙袋を差し出した。
「何?」
「開けてごらんなさい」
 壬生が袋を開くと、そこに入っていたのは1本の通信ケーブルだった。
「これは……?」
「母さんが夜なべして編んだ通信ケーブルです」
「え!?」
「母さんが元気に入院していられるのは紅葉のおかげですもの。これくらいの暇はあるわ」
「……すごいよ、母さんの技術」
「紅葉に褒めてもらえて嬉しい。さあ、それを持ってお行きなさい」
「だけど、母さん」
「母さんのことなら大丈夫。このあとみんなでカラオケに行く約束だから、紅葉がいなくても平気よ」
「わかった……行ってくる」
「頑張って。母さん、あなたのためにアリスのチャンピオン歌ってくるから」
「あぁ!」

 紅葉は病室を飛び出すように出て行った。
 その逞しい息子の背中に、母は心の中でそっと祈るようにエールを送る。
 いざ……戦場へ!

 

 ―――拳武館。


 まっすぐに館長室に飛び込んだ壬生が叫ぶ。

「勝負です! 館長!」
「忙しいから後にしたまえ」

 真面目モードで仕事していた館長は相手にしてくれなかった。
 仕方なく外で待たされる壬生。それから2時間ほどしてようやく館長室に通された。

「ふははは! また負けに来たのかね、符咒バトラー君! 往生際の悪いことだ!」

 すでに符咒マスターはそこにいた。万全の体制で壬生を待ち構えている。
「負けは一度で十分です……今度はあなたが敗地にまみれる番だ!」
「フフ、弱い犬ほどよく吠える。この場合、犬とはもちろん精神的に犬という意味だ。君に尻尾やら肉球やらマーキングの習性があるということを言っているのではない」
「館長、僕の母さんと同じことを言っています」
「ふむ、まあ、いいだろう! 今日も初期デッキ対戦で勝負だ! 宇宙のなんとかを乱す者は、私が許さん!」
「望むところです!」

 

  バトルスタート!


 当然、どちらも初期デッキなんて使ってなかった。しばらく汚い罵り合いが続き、お互いの卑怯さを再確認する。
 実際の勝負の中身はそれぞれのデッキのぶつかり合いで、しかも相手の符を捨てる能力符など、対戦の場では嫌がられる攻撃のオンパレードだったし、もちろん互いの欠点や気にしているところとかを嘲笑ったり罵ったりの口撃も続いている。
 ただ、あまりにも汚い言葉が行き交うし、対戦の中身も面白みのない凡試合なので詳細は省く。
 とにかく最終的には、壬生が勝利する形で終了したのだった。

「ぐああああああ!?」

 勝者、壬生!

 

「なかなか、白熱した勝負でした」
「くっ……負けたのか、この私が……?」
「正味の勝負では僕の方が場数を踏んでいます。経験が勝敗を分けました」
「そういうことか……結局のところ、私は紅葉しか対戦してくれる知り合いがいないからな……」
「これで認めてくれますね。僕は符咒バトルを極める。もうあなたにはそれを止める力は無い」
「…………」
「どうです? 認めますか?」
 符咒マスターは静かにかぶりを振った。認めない、と強情にも意思表示する。
「なぜですか? まだ僕の符咒っぷりに不満でも?」
「そうではない。そうではないんだ……」
 疲れきった声で符咒マスターは答える。この対戦でずいぶんと疲弊してしまったようだ。まるでおじいちゃんみたいな声だった。
「君はまだ分かってないんだ。符咒を極めるということの恐怖を……龍麻を知らないからだ」
「また龍麻ですか。いったい彼と何があったんです?」
「私が符咒封録を買ったばかりの頃、真っ先に向かったのが龍麻のところだ。いろいろ秘訣を聞いて紅葉に勝てるデッキを組み立てたかったからな」
「僕に内緒でそんなことを?」
「今思えば、私もウキウキだったからな……。穢れを知らない子供のように純粋な気持ちだったよ。スキップなんて、いったい何十年ぶりだったか」
「そんなことはどうでもいいです。それで龍麻には会ったのですか?」
「……会った」
「会って、符咒で対戦したのですか?」
「まさか!」
 慌てて符咒マスターは否定する。その態度に尋常じゃないものを壬生は感じた。
「君は知らないからそんなことを言うんだ。あの龍麻と対戦? バカな。死んでしまうぞ!」
「…………」
「悪いことは言わない。龍麻とは戦うな。符咒のことは忘れて暗殺とか手芸とか普通の高校生らしい生活に戻れ。それが君のためだ」
「……分かりませんね」
「紅葉!」
「どうしてみんな、そこまで龍麻のことを恐れるのですか? いくら強いと言っても、たかがデッキの組み立てでしょう? 条件は同じですよ」
「それは君が符咒をただのゲームだと思ってるから、そう言うんだ!」
「ゲーム? それはそうでしょう。符咒封録はゲームですよ。GBAは任天堂の登録商標だし」
「いや、違う。1人だけ違う者がいるんだ」
「違う? どういうことです?」
「よく思い返してみろ……本編のストーリーを」
「……、まさか!?」
「そうだ。龍麻はこのゲームの主人公なんだ。つまり、符咒封録の世界をリアルで生きてきた男なんだ」
「それが……どういうことです?」
「龍麻があのケガをした時、なんかどういうことかも分からないがアッチの世界に行って、問題を解決して帰ってきた。あれはゲームの中の創作ではない。現実として龍麻が体験してきたことなんだ」
「しかし僕達は、あくまでゲームとしてしか符咒に触れられない……」
「そうだ。それがどういう意味を持つか分かるか? そこでの生き死にを体験した者と、バーチャルの安全な場所でしか経験できぬ者たちの違いを理解できるか? その覚悟の違いを!」
「…………」
「彼はそこで生き抜くために、ここでのことを全て捨て去った。彼はもうお前の知っている龍麻ではない」
「龍麻が……」
「あれは悪魔だ。符咒の悪魔だ。お前の言うようなデッキの組み立てがどうとか、そういうレベルの男ではないんだ」
「…………」
「悪いことは言わぬ。あの男はもう私の弟子の緋勇龍麻ではない。お前には龍麻と同じ道を歩んで欲しくはないんだ!」
「……館長」
「紅葉! 分かってくれ!」
「いえ、僕は行きます。龍麻のところへ」
「バカな! なぜだ、紅葉!? どうして危険と知りつつそのようなところへ!?」

 壬生は符咒マスターに背を向け、館長室の扉に手をかける。
 そしてゆっくりと振り返ると、冷たい声で彼に答えた。

「だって僕が龍麻に会わないと、いつまで経っても話が終わらないじゃないですか」
「あ、な〜るたき」

 ポン。と、符咒マスターはひざを打った。
 その拍子に、ずるっとマスクがずり落ちた。

 なんとその正体は、泣く子も黙る拳武館館長、鳴瀧冬吾だったのである。

 

 


次回予告


 飢えた狼の咆吼が新宿に響く。立ちふさがる真神の戦士たち。
 学舎は真紅に染まり、非情なるブルースが青春に終わりを告げる。
 戦慄の符咒デビル、龍麻とのバトルの行方は?
 その隠された実力とは?
 待ち受けるのは、悲しき運命───。

 


 次回『携帯電脳遊戯最強伝説 符咒バトラー壬生!』最終話

  「あ」

 


 つづく!
 

 


INDEX


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