■愛の地底・中編
2006 the reverse side of a hanging scroll : recharge
墓場前白岐を連れて行くことになった俺は、墓場前で潜入のタイミングを図っていた。
「早く行きましょう……、九龍」
「いや待て。もう少し様子を見よう」
「どうして?」
「確かに人の気配はないが……あの墓守のジジイがどこかで見てるかもしれない」
「……それなら大丈夫よ」
「え?」
「あの墓守のお爺さんは放課後から夜にしかいないの。日中に彼の姿を見たことないわ」
「そうなのか?」
「ええ」白岐からの意外な情報だった。
しかしそう簡単に信じていいものなのか、わからない。
白岐が俺に嘘をつくメリットは何もないのだが、鵜呑みにしてよいのか判断しかねる俺に、白岐も自信なさそうにうつむくのだった。「理由は……私も知らないわ。ただ、いつも温室から見ている限り、明るいうちにお爺さんの姿を見たことないし、お墓の掃除だって暗くなってから始めるのよ」
「そうか」だとすれば、なぜだ?
それが本当なら今後の探索はやりやすくなるが、理由が不明のうちは確実とも言い難い。できれば確証を得たいところだ。「そういえば……あの墓守のお爺さんが来たのは夕薙さんが転校してきた時期と一致するわ。ひょっとしたら同一人物なのかも」
「うはははっ、なに言ってるんだよ、白岐!」
「違うかしら?」
「まさかだろー! 全然違うじゃん! もしもあいつらが同一人物だったら、逆立ちして鼻からスパゲッティ食べてやるよ! げらげらげら!」
「まあ」白岐は黒い手帳を取り出して、なにやらメモったようだった。
「そんなことより、ジジイがいないのは本当みたいだ。さっそく潜入しようぜ」
「ええ」俺たちは、地下遺跡へとずんずん侵入していく。
この奥に眠る、《恋》というトレジャーを目指して。
地下遺跡内部
「───今日の遺跡は、妙に静かだな」
「それはたぶん、九龍がH.A.N.Tをへし折ったせいじゃないかしら?」
「なるほど」あれ?
それじゃ俺、これからどうやって協会と連絡とればいいんだ?
ていうか俺、協会クビじゃね?「まずいなぁ」
「大丈夫よ……。このあたりなら私もよく知っているから、案内できるわ」
「そう? それじゃ、よろしく頼むね」まあいい。今はマダム・バタフライの薄羽をこの燃えたぎる情熱で燃やし尽くすことだけ考えよう。
葉佩九龍の恋の迷宮、出口はすぐそこだ。「……確か、このあたりだと思うわ」
地下から吹き上げる風が、不安定な足場をさらに危うくする。
矢のように細い路地が入り組んだフロアだ。
足場の下には底が見えないが、どれほどの空間が広がっているのだろう?
そもそも、こんなフロアが遺跡の中にあったなんて。「こんなところにバタフライが?」
「ええ、足下に気をつけてね」白岐はこの足場を恐れる様子もなくスイスイ進んでいく。恐ろしい子だ。
「天照大御神の使者である天若日子は、出雲の下照比売を妻にして、天に帰ることを忘れてしまった。そして天の言葉を運んできた雉の鳴女を、天照大御神から授かった天之麻迦古弓と天之波波矢で貫いてしまう……」
日本神話の一説を、唄うように白岐は言う。
「このフロアは……鳴女を貫き、天の安の河原にまで飛んでいった天之波波矢の軌跡を模しているの。その矢についていた血で天若日子の裏切りに気づいた高木神は矢を投げ返し、天若日子は胸を貫かれてしまうのよ」
「裏切りと死、か……物騒な話だな」物騒な話だが、その裏にはロマンスがある。国を捨て妻子を捨てて下照比売を選んだ天若日子は、どれほどの罪の意識に苦しんだだろう。だが自分の愛に忠実に生きた彼のことを、今の俺に責める資格はない。
愛に苦しみ、時に他の全てを失うのは、いつの時代の悲劇も同じだ。
なお「返し矢」と呼ばれる、これと似たエピソードはメソポタミアやインド、ギリシャなど世界中に見られる。だが俺は、日本神話のこのエピソードに、隠されたもう一つのロマンスを感じる。
この天之麻迦古弓と天之波波矢というのは、天若日子が大国主命を仕留めるために連れてきた刺客のことだったのではないだろうか。そして天之波波矢と、高天原の間者である鳴女との間には、特別な関係があったのではないだろうか。
俺は、天と地の間を駆け抜け、鳴女と天若日子の胸を貫いた一本の矢の執念に、もう一つの悲しき愛を感じてやまない。
恋は人を詩人にするという。
まったく、俺は現代のシェークスピアだな。「……裏切り……」
白岐は、ため息をつくように呟いた。
「九龍、あなたは誰かに裏切られたことある?」
憂いを含んだいつもの声色に、悲しみがこもっている。鎖で重そうな肩が、いつもより下がっている。
ひょっとしたら、彼女は誰かに裏切られたことがあるのかもしれない。今の神話に、自分を重ね合わせる部分があったのだろうか?
こんな寂しげな女性のため息を、受け止めてやるのが男の優しさだというなら、俺の過去を少しだけ彼女に明かしてやってもいいかもしれない。裏切り───。
こんな稼業をやってれば、嘘や裏切りなんて日常茶飯事のことだった。
油断すれば誰かに出し抜かれる。《秘宝》ためなら人の命もなんとも思わないような連中もゴロゴロしている業界だ。死にたくなければ、誰よりも利口になるしかない。
トレジャーハンターなんて仕事は、そんな毒蛇どもの棲む穴に喜んで手を突っ込むようなイカれた人間じゃなきゃ、つとまらない仕事ってわけさ。───と、したり顔で言えるだけの過去が、ルーキーの俺にはまだ無かった。
「裏切られたっていうのと、ちょっと違うかもしれないけど、夷澤のヤツに生徒会長を懲らしめてやろうぜって嘘ついて、アイツが会長の《黒い砂》に取り押さえられつつ《普通の砂》を鼻の穴に流し込まれる一部始終を、隠れて見ていたことならあるよ。あ、裏切られたっていうか、俺が裏切ったっていうか」
「あ、そう」明らかに期待はずれだったらしく、白岐は失望の色を隠そうともしなかった。
俺は自分の顔が熱くなるのを感じた。「じゃあ……もし、自分が信じていた人に裏切られたとしたら、あなたならどうする?」
「え、うーん、どうするかな? わかんないかも」
「そうね、例えば───、もしも皆守さんに裏切られていたとしたら?」甲太郎が?
俺を?「はははっ、悪いけど想像もできないな! アイツなんて人畜無害の南国系哺乳類だし、裏切ろうにも裏とか全然ないし、なにより俺のことが大好きだしね!」
「そうなの?」
「あったりまえだろー! もしもアイツが俺を裏切るようなことがあったら、俺はお子さまプールいっぱいにナタデココ作って屋上からダイブしてやるよ! げらげらげら!」
「まあ」白岐は黒い手帳を取り出して、なにやらメモったようだった。
「ねえねえ、さっきから何をメモってんの?」
「ううん、なんでもないの。気にしないで……」
「そうなのか? でも、さっきからどうしたんだい? なにやらメランコリックな雰囲気が君の肩胛骨あたりから醸し出されてるけど」
「…………」
「どう? 俺で良かったら話してみないか?」
「ええ……ありがとう」俺の紳士的な優しさに、白岐も感動の表情を浮かべて頷く。
「じつは九龍、あなたに聞いて欲しいことがあるの」
「うん?」
「だけど……あまり他人とか化人に聞かれたくない話だから……こっちへ来てくれる?」
「あぁ、いいよ」遺跡の細い通路をスタスタと白岐は進んでいく。ちょと足を踏み外せば奈落の底なのだが、あいかわらず彼女は怖がったりしていない。
ていうか、どうして彼女はこんなところを平気な顔して歩けるのか、どんどん通路は狭くなっていくのだ。「このへんでいいかしら?」
「えぇぇぇええええっ!?」通路の先端あたりで彼女は立ち止まった。俺はその遙か後ろで立ち止まらざるを得なかった。
このへん、というか、そこはもう崖っぷちでしかない。
デッキのように突き出した細い通路の先には、どこまでも暗闇の洞が広がるだけだった。
トレジャーハンターという職業柄、閉所に暗所に高所の恐怖などとっくに克服したはずの俺ですら、さすがに息を呑む光景だった。「……聞いてくれる、九龍?」
「え、あぁ、なに?」
「私……ある男の人に騙されていたの」
「え?」どこまでも深い遺跡の底から吹き上げる風が、彼女の長い髪をたなびかせていた。
じっとその底を見つめる彼女の表情は、俺の方からは見えない。「その人は、とても優しい人だった。だから私も心の底から彼のことを信じていたの。私の一番大事なものを、預けてもいいと思ったくらい」
「あ、あぁ」
「私は他人と関わるのが下手で、その人はすごく馴れていて。私みたいな女を騙すのは、きっと簡単なことだったんでしょうね」
「ひどいな……」白岐の話は要領を得ないが、とてもデリケートなことについて語っていることぐらいは俺にもわかる。
俺の知らないところで、彼女もいろいろあったんだな。
相手はこの学園の人間だろうか?
もしもそうなら、俺がぶん殴ってやってもいい。「こめんなさい。私のことなんかより、あなたをマダム・バタフライのところへ案内しなくちゃね」
「あぁ。でも大丈夫かい、白岐?」
「ええ、大丈夫よ」
「無理することないから、何でも俺に相談しろよな」
「九龍……ありがとう、そうさせてもらうわね」俺の力強い激励に、白岐は健気な笑みを浮かべた。
なんだかんだ鎖巻いたって、彼女もいたいけな女の子。俺を頼ってくれるなら、守ってやりたいと思う。
それがタフな男というものだ。
俺のようにたくましい友人がいることに、いつか彼女は感謝するだろう。「ところで、彼女はこの下にいるわ」
「えぇぇぇええええっ!?」氷の女王のように冷たい無表情で、白岐は眼下に広がる暗闇の底を指さした。
トレジャーハンターとして鍛え抜かれた俺の肉体は即座に反応し、心臓はものすごい勢いで跳ね上がって、急速に縮み上がった。体内に必要な血流を維持するために、腰から下の筋肉は緩やかに弛緩し、関節は支えを失い崩れ落ちる。肉体の異変を感じ取った涙腺は、大量の水分を排出してホルモンの分泌を促した。「……腰を抜かして泣いてしまったの、九龍?」
「抜かしてなんかないやいやい! 泣いてなんかないやいやい!」
「大丈夫。ゆっくり近づけば怖くないわ。男の子なんだから、いつまでも泣いてちゃダメ」
「えーん!」愛とは常に死と隣り合わせの危険なレースだ。その覚悟がないヤツはポップスターにでも恋してりゃいい。
しかし俺には、これくらいハードボイルドな男の女の関係がよく似合う。
白岐は何度も励ましたり叱ったりしながら、根気よく俺を促してくれた。そして俺も彼女の熱い期待に応え、まるで死と隣り合わせのゲームを楽しむかのように、男らしく力強いハイハイで彼女の待つ通路端まで歩み寄ることに成功したのだ。「いい子ね、九龍ちゃん。やればできるじゃない?」
「フッ、なんのこれしき、天才トレジャーハンターの俺にとっては朝飯前さ」白岐は疲れたようなため息をついた。
「そんなことより、いよいよ告白ね」
「あァ、とうとうこの時が来たな」
「彼女がいるのは、この下なの」
「どれどれ……ん、ちょっと暗くて見えないな」
「あのあたりよ。さっき羽ばたいてるのが見えたもの」
「えー、どれ?」白岐が指さす方向も、真っ暗で何も見えなかった。
暗視スコープを使ってる俺が白岐より視界が悪いはずないのだが、どこにもバタフライの姿など───。「えい」
スコンと誰かに尻を蹴られた。
途端、俺のスコープ越しの視界は180度の垂直回転して、体は宙を舞った。「むひよあッはああああああっ!?」
とっさに手を伸ばした先に通路の縁が当たり、俺はなんとか指を引っかけて通路にぶら下がることができた。
突然のことである。たとえ俺が変な悲鳴を上げてしまったとしても仕方ない事態だ。
しかしそんなことより、どうして彼女が俺を───。
俺は白岐に鋭い視線を投げかける。「何するんだよ、白岐ッ!」
「…………」白岐は無言で舌打ちした。怖えー。超怖えー。
「な、なにするんですか! どうしてお前がこんなこと!」
「どうして、ですって……? 理由なら、もう説明したはずよ」
「え?」どういうことだ?
まさか白岐が言っていた、男に裏切られたっていう話か?
それが俺に何の関係があるっていうんだ?「私はあなたのこと、信じてたのに……」
なんてこった。
彼女は俺に特別な想いを寄せていたようだ。
愛ゆえに人は不幸に陥り、愛ゆえに狂ってしまう。
愛は、ただ生まれるだけで罪なのである。
俺は所詮、流れ者のトレジャーハンターだ。
うぶな女子高校生が恋をしたって、幸せになんかなれっこないというのに!
「九龍……あなた、よくも私の八千穂さんを泣かせてくれたわね?」
─── 僕らの母校は、とってもディープなとこでしたね。
まともな人なんて、正直、一人もいませんでしたよ。
トップハンター 第960回配信
『協会の寄生虫:葉佩九龍』より
(C)Rosetta association
【つづく】
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