■愛の地底・前編
2006 the reverse side of a hanging scroll : recharge


 昼休みの屋上に、ゆるい風が吹き抜ける。
 アンニュイな午後の空気が、俺たちの上に横たわる。
 長い告白を終えた俺に、ため息をつくように。

 俺は、自分の若さを憎む。
 想いを言葉にしようとしても、感情ばかりが先走る。正体不明に入り乱れた心は、捉えきるまえに形を失う。
 まるで濡れたグラスを掴むようだ。俺は自分自身がどうなっているのかも見失っている。
 こんなことじゃ、プロのトレジャーハンターとして失格だ。
 
 いつもの気怠げな眼差しをビックリするくらい見開いている甲太郎も、きっと俺に呆れているのだろう。

「……本気なのか?」

 アロマを落としそうになりながら甲太郎は言う。生まれたての羊蹄類のように小刻みに震えながら。洗い立てのジーンズのように青くこわばった顔で。
 俺はうなづく。
 本気か、と問われて戸惑う気持ちがないわけではない。だが、この戸惑いが逆に俺に制御できないほどの本気(マジ)を伝えてくる。この本能に従うなら、俺はマジだ。
 ごくり、と甲太郎は何かを飲み込む音を立てた。

「それでいいのか、お前は……?」

 トレジャーハンターの職業倫理に則れば答えはNOだ! 否だ! だが、それがどうしたというんだ!
 俺はまだ何者にもなっていない。まだ十代なんだ。道を誤る時間はまだまだ残されているんだ。胸を焼き焦がす情熱に、この身も焼いてしまいたいんだ!

 恋を、してしまった。
 何もかも、失ってもいいと思った。

 それが罪だというなら罰してくれ。どうか彼女を、罰してくれ。
 彼女を得られないのであれば、俺はどこまでも残酷になれる。聞いてくれ、陪審員さん。俺は昨日まで優秀なトレジャーハンターだった。なのに彼女に全てを奪われてしまった。情熱も技術もプライドも2−Aの黒板消しも全て奪われてしまった。
 どうか彼女を罰してくれ。俺の中にいる彼女を。俺の心を不法占拠している彼女を!
 彼女は家賃すら払ってくれない!

「…………」

 甲太郎の吐き出す煙が、俺に“落ち着け”と、言っているかのようだった。
 熱くなりがちな俺の暴走に、親友はかろうじてブレーキを踏んでくれる。

「本当に……それでいいのか……?」

 それはむしろ、自問に近い言い方だった。まだ少し、俺は混乱している。だがそれ以上に、甲太郎も混乱しているようだ。
 俺にとって、これは初恋だった。自分にもよくわからない。正しいのか、正しくないのかなんて。恋がこんなにも苦しいものだったなんて。

 俺は今、巨大な迷宮の前にひとりぼっちでいるような心持ちだ。
 地図なんてない。光も差さない。H.A.N.Tはもともとポンコツだ。自分がこんなにも頼りないと思ったのは初めてだ。

 もっと早くに生まれれば良かった。
 彼女と釣り合うくらいに、大人になれたら。
 せめて若さに引け目を感じなくとも済むくらい、早くに生まれていたら良かったのに。
 だけど具体的には、何千年前に生まれれば良かったんだろう?

「あれ……昆虫じゃねェの?」


 マダム・バタフライ。


 ─────罪深き、俺の女神よ。

 

 

 

 

 

 

 

 

    地底  

 

 

 

 

 

 

 

 


「九チャン!」 

 突如、屋上の扉が開け放たれて、俺と甲太郎は本気でビックリした。
 やっちーだった。見慣れたお団子頭が、ゆれていた。

「今の話……本当なの?」
「な、なにが?」

 今の話とは、彼女のことだろうか?
 まさか、やっちーが知るはずもない。当然、俺と甲太郎は白を切る。

「マダム・バタフライのことだよ!」
「!?」

 俺のアイコンタクトに甲太郎は首を振る。
 そんなはずがない。たとえ扉の向こうで耳をすませていたとしても、そこまで今の会話が届くはずがない。また、仮に盗聴器の類があったとしても、俺のH.A.N.Tが反応しないはずがないじゃないか。

「……九チャンのポンコツH.A.N.Tが、勝手にあたしのケータイに電話かけてきたから、聞いちゃったんだ」

 まったくもって、俺のH.A.N.Tはポンコツだった。

「ひどいよ、九チャン……あたしのこと、騙してたんだね……」
「い、いや、違うぞ、やっちー。そんな意味じゃなくってだな」
「調子のいいことばかり言って、あたしをその気にさせといて……本命はバタフライだったの?」
「だから、違うって言ってんだろ! 俺の話を聞けって!」
「聞いたらまた、あたしを喜ばせるようなことばかり言うんでしょ!」
「!?」

 やっちーの目に、大粒の涙が溜まっていた。
 大きな瞳がいっぱいになるまで濡れて、次々とこぼれていく。
 彼女のそんな顔、俺は初めて見る。

「九チャンのバカ! 聞きたくないよ! もう九チャンの話なんて聞きたくない!」

 俺が……俺が、やっちーを泣かせてしまったのか?

「バカバカ! 九チャンのバカ!」

 俺の胸を、やっちーの小さな拳が叩く。
 どうしてこうなってしまうんだろう? 俺が、マダム・バタフライを愛してしまったから?
 愛が……愛が周りにいる人たちまで傷つけてしまうというのか?

「やっちー、落ち着いて聞いて欲しい。俺は最初からお前に───」 
「もう聞きたくないって言ってるじゃない! 九チャンのうそつき!」

 そう言って、やっちーはポケットからカードの束を取り出して、俺の顔面に投げつける。

「『俺は永遠にカブトムシ派だ』って言ったじゃない! 九チャンのうそつき! ヘラクレスオオうそつき! わああぁぁぁぁぁ……ッ!」 

 ───戸惑う俺の前に、大量のムシキングカードを残して、やっちーは去ってしまった。
 彼女のクワガタに対する想いがいっぱいに詰まったカードたちが、寂しげに俺を見上げていた。
 俺を……やっちーとお前たちの仲を裂いてしまった俺を、恨んでいるのか?

「……甲太郎、聞いてくれ」
「いや、どうでもいいよ、お前らのことなら」
「カブトムシ派の俺とクワガタムシ派のやっちーは、ライバルとして、ときには良き理解者として、互いにムシキングの座を目指して切磋琢磨を───」
「…………」

 甲太郎の吐き出す煙が、俺に“マジでどうでもいいから、お前らのことは”と、言っているかのようだった。

「───俺、マダム・バタフライにコクろうと思う」
「そうか」

 この気持ちを、彼女にぶつけてみよう。
 愛がこうして他人までも傷つけてしまうのなら、俺がいつまでもその痛みから逃げているわけにはいくまい。 
  やっちーのためにも、そして応援してくれる親友のためにも。

「まあ、他のヤツなら止めるとこだが、お前なら昆虫とも結婚できるかもしれないしな」
「ありがとう」

 彼女は今も遺跡にいる。決心したからには、さっそく彼女のもとに向かおう。

「甲太郎。俺は今から遺跡に向かう」
「わかった」
「お前はどうする?」
「そうだな───」

 甲太郎は、まだ日の高い空に目を細めた。

「天気もいいし、今日は屋上で寝る。放課後になったら起こしに来てくれ」
「わかった」

 親友に別れを告げて、俺は1人屋上を後にする。

 


      3階廊下

 


 ヌーの如く俺は疾走した。
 遙か太古より生命は恋と食料のために走り続ける。
 俺は今、恋のキャノン。情熱のエンジン機関。
 誰にも俺を止められない。爆発する理性を燃料にこのまま遺跡まで駆け抜け───

 ッ!?

 今、俺のトレハン感覚が河底でヌーの子供を狙うワニのような鋭い視線を感じとった。
 俺は隠し持っていたグロック17と輪ゴムを瞬時に両手装備し、気配を感じた方角に向けて警告する。

「動くな! 銃は偽物だが、輪ゴムは本物だぜ!」
「……どうしたの、九龍?」

 そのとき、間の悪いことに真後ろから聞き覚えのある声がした。
 天香の鎖姫、白岐幽花だった。

「白岐、近寄るな! 俺は今、交戦中だ!」
「え、本当……?」

 しかし、先ほどまでの気配は彼女の登場により消失してしまう。
 何者かは不明だが、一応は一般生徒である白岐を巻き添えにすることを嫌ったのか、あるいは彼女が強力な戦力であることを見抜いたか。
 どちらにしろ、その判断力とすばやさ、ただ者ではあるまい。

「…………」
「大丈夫、九龍?」
「あァ、大丈夫。もう心配いらないよ。どうやら気のせい───」


   『敵影を発見。移動してください』


「───だったみたい☆」

 俺は今ごろ起動したポンコツH.A.N.Tを、茶目っ気たっぷりにへし折った。
 白岐は「まあ」と言ってクスリと笑った。

「どこかへ行くところだったの?」
「あァ、ま、ちょっとね」
「マダム・バタフライのところ───かしら?」
「!?」
「ごめんなさい……じつは、さっき八千穂さんに聞いてしまったの。屋上のこと」
「え、なんだ、そうだったの? やっべ、すっげ、照れるし、照れるし」

  んもう、やっちーったら。
 他の人に言うことないじゃない。

「照れることないと思う……私、少し感動したのよ」
「え?」
「恋とかそういうの、私にはよくわからないけど、住む世界とか生物分類の違いとか、そういう障害があっても好きと言えるのって───格好いいと思うわ」
「そ、そうかな?」
「ええ。私、九龍のことを応援するわ」
「ありがとう」

 白岐にそんなこと言われるなんて思わなかった。
 友達っていいものだ。

「それで……私も、ついて行ってもいいかしら?」
「え?」
「遺跡に潜るのなら、お手伝いしたいの。あなたの邪魔はしないから、お願い……」
「んー、まあ、ちょっと恥ずかしいけど、白岐ならいいか。ただし俺が彼女にコクるときは、邪魔しないよう離れてろよ」
「ええ、もちろん。ありがとう、九龍。ふふふっ……」

 嬉しそうに、白岐は微笑む。
 彼女がこんなに嬉しそうにする姿って、そういやあまり見たことがない。
 なんだかんだ鎖巻いたって、彼女も恋に興味しんしんの年頃の女の子なんだな。
 俺はそんな彼女のことを、微笑ましく思った。

 

 

 


 ───まさか、あんなことになるなんて、このときは思いもしなかったんだ。

 

 

 

【つづく】

 


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