■ マミーズへようこそ
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マミーズは今日も盛況。
昼休みの店内は腹を空かせた学生で満員だった。
そしてそのフロアーの中央近くのテーブルでは、九龍、皆守、八千穂、取手の4人が忙しなく走り回る店員を後目に空腹を抱えているところだった。
「ったく、いつになったら出てくるんだよ、俺のカレーは」
倒置法まで用いて非難しているのに、皆守の嘆きはウェイトレスたちの耳には届かない。
取手の「しかたないよ、混んでるし、今日のマミーズも」という倒置しすぎたフォローも彼らの不機嫌を助長させるだけだ。
しかし、そんな彼らの中で、九龍だけが不敵に微笑むのだった。「どしたの、九チャン? マッチでも擦ってるの?」
「俺は少女か?」
「そういやあの子、名前ないよね」
「本当にかわいそう」
「いやそんなことより、お前ら俺の不敵な笑みの理由を聞け」
「ガラスの靴でも拾ったの?」
「お母さんが白鳥だったとか?」
「大聖堂でルーベンスの絵でも見たんだろ」
「それどの場面でも不敵に微笑んでないと思うぞ。つーか、いいからこれを見ろ!」
九龍がテーブルの上に取り出したの、何の変哲もない卵だった。
皆守と八千穂の視線が、取手に集まる。
「……僕、正解だったの?」
「もういいから。ホントもういい超ウザい。俺が言いたいのはそんなことじゃなくて、もっとすごいことなんだよ!」
テーブルの上の塩を手に振りかけ、卵をもう片方の手に乗せる。
「いいか、よーく見とけよ」
その卵と塩をみんなに見せつけて、九龍はゆっくりと深呼吸。
ただならぬ雰囲気に八千穂が息を呑む。取手が汗を握る。皆守がアクビする。
そして、九龍の両手が気合いとともに──────Compound!
「ええっ!?」
それは一瞬のことだった。
ついさっきまで九龍の手にあった卵と塩が姿を消し、代わりに九龍の前のテーブルに現れたのは温かそうなオムレツ。ご丁寧にケチャップで『Get Treajer!』と書かれたオムレツだったのだ。
「ええ〜〜っ、何、今の!? このオムレツどうしたの!?」
「こ、これ、はっちゃんが作ったの!? 今の一瞬で!?」
「しかも、トレジャーハンターのクセに『treasure』のスペルも知らなかったのか!?」
「フッ、みんなが驚くのも無理もない。だが、確かにこれはたった今、この場で俺が作ったもの。この俺の調合で!」
「調合?」
「そう、それはトレジャーハンティングを極めし者の秘術。あらゆる素材の可能性を最大限に引き出し、そして2つ以上の素材の融合させることによって加熱と加工の過程をごまかし、この場にない食材も含めて曖昧な想像力で味のイメージを作り上げ、無茶は覚悟でなんとか料理としての形を完成させる。それこそが我らトレジャーハンターの調合技術。科学では解明不能の職人技だ!」
「それ職人技っていうか?」
「しかも皿まで出来ちゃうものなの?」
「でも、すごいよ、九チャン! 本物のオムレツみたい!」
「だから本物なんだって。鎌治、お前の注文もオムレツだったよな?」
「え、うん」
「これ、食べてみー」
「ええっ!?」
「おい九ちゃん、無茶いうなって。取手がかわいそうだろ」
「そうだよ。イジメはかっこわるいよ!」
「大丈夫。これは間違いなく本物のオムレツだよ。味も俺が保証する」
「で、でも……」
「やめとけ、取手。こんな得体のしれないモン食って、どうなっても知らないぞ」
「大丈夫だって。食べてみろよ、鎌治」
「お腹こわしちゃうかもよ」
「突然爆発するかもな」
「ええっ、それは怖いな……」
「ところで鎌治。共生で有名な生き物といえばイソギンチャクとカクレクマノミだが、じつは彼らも最初から仲良しだったわけじゃないんだ。互いに何度も衝突を繰り返し、時に殴り合い、時に許し合い、そしてイソギンチャクの口の中にカクレクマノミが飛び込んだ瞬間、本当の意味で2人は分かり合えたんだ。イソギンチャクの暖かさ。カクレクマノミのほどよい塩味とコリコリ感。そしてめくるめく禁断の愛。彼らの間に信頼が生まれたきっかけは、とりあえず口の中に入れてみる勇気だったんだな」
「はっちゃん……」
「大丈夫だよ。鎌治、俺を信用しろ」
「わかった。僕、このオムレツを食べるよ」
「ええ〜〜っ!? それでいいの、取手クン!?」
「今の話のどこに心が動いたんだよ!?」
「さあ、たんと召し上がれ」
「う、うん。いただきます……」
みんなが見守る中、取手のスプーンが九龍のオムレツをすくって口元に運ばれる。
思い切って、ぱくっと取手が口に入れた瞬間に八千穂が小さく悲鳴を上げる。
ゆっくりと咀嚼していく取手の表情が驚愕に変わった。そして、興奮したように大声を出す。
「おいしい……おいしいよ、コレ! 本物のオムレツ、いや、それ以上だよ!」
「ええっ、本当!?」
「うん!」
続いて八千穂が取手のスプーンを借りて一口。
皆守も一口。
「うわ、すごい。コレ、めちゃくちゃおいしいよ!」
「マジでオムレツだな……信じられんが」
「どうだい、どうだい? 俺の調合はすごさがわかったか!」
「すごいよ、はっちゃん! こんなおいしいオムレツは初めてだ!」
「九チャン、私のハンバーガーも作ってよ!」
「俺はカレーな。4辛で」
「クククッ、ようやくわかったか、腹ぺこ愚民ども。よかろう、どんな料理でも俺にまかせろ!」
「やったあ!」
「やれやれ、こんなことならわざわざマミーズ来ることなかったな」
「本当だね」そのとき、彼らの背後で食器の割れる音がした。
シン、と静まりかえった店内を振り返ると、そこに、涙を流しながら唇を噛む奈々子がいた。
そして彼女の足元に、オムレツの残骸と思われる無惨な姿の料理が。
「あ……」
気まずさに声を失う学生たちの前で、奈々子は泣き叫ぶ。
「そんなの……そんなのずるいですよ〜〜〜っ!!」
「いや、あの、ごめんなさいっ。あまりにもお腹がすいたものだから!」
「そ、そうそう! あたしたち、ちょっとつまみ食いしただけだから!」
しかし、慌てて奈々子にフォローする取手たちを遮るように、不敵な笑みを浮かべる九龍がゆらりと立ち上がる。
「クククッ、これはこれは。マミーズのウェイトレスさんじゃないですか?」
「見りゃわかるだろ」
「えぐっ……奈々子ともうします……」
「アンタも自己紹介すんなよ」
「ご苦労だったな、お嬢さん。だがもう手遅れだ。見てのとおり、アンタのところの料理の出番などもうない!」
「そ、そんなぁ〜〜っ!?」
「ちょっと九チャン、言い過ぎだよ」
「だが事実、マミーズの料理より俺の調合の方がはるかに早いのは確かだ。そして味でも俺の方が勝ってる!」
「そ、そんなっ!? 本当ですか、取手くん!?」
「いや、その、なんていうか……」
「……そんな〜〜っ!!」
「クククッ、いくら口惜しかろうがこれは事実! 揺るがなき現実! マミーズはトレジャーハンターの調合技術の前に敗北したのだ! フハハハッ!」
「う、うわ〜〜んっ!」
「おい、九ちゃん、そのへんにしとけって。大人を泣かすなよ」
「ていうか、奈々子さんも大人なんだから店で泣かないで」
「安ければ質などどうでもいいのか? フリフリした格好をしとけば客は満足なのか? 否っ! すでにグルメは高級嗜好というイメージなど氾濫するメディア情報により庶民レベルに引き下げられ、単なる記号と化したコスチュームなどもすでに賞味期限切れだ! 安くても品質は高くあるべし! 無意味な飾りよりも合理的で素早いサービスに徹するべし! ファミレスなどとっくに時代遅れだ! これからは調合の時代なんだよ!」
「そ、そんなことありません! ファミレスだって……すごいんです!」
「奈々子さん、九チャンに口喧嘩は勝てないよ。もうこのへんで、やめとこうよ」
「あの、僕、ちゃんとマミーズのオムレツも食べますから」
「ていうか、俺のカレーはまだか?」
「調合は全てにおいてファミレスに勝る! 時代遅れのファミレスなど敵ではないわ!」
「ファミレスは、ファミレスは、学生さんみんなの味方なんです! 時代遅れなんかじゃありません!」
「俺の昼休みには遅れそうなんだが……」
「ウェイトレスふぜいが何といおうと、ここにいる鎌治はすでに調合が上だと認めたぞ! 素直に敗北を認めて詫びるがいい! そしてこの店を俺に受け渡せ!」
「えっ、なんでマミーズを!?」
「やっぱり……やっぱり最初からそれが目的だったんですね、あなたは!」
「そうだったの、はっちゃん!?」
「ふぬはははっ! やはりバレていたのか、奈々子! そう、俺の目的は最初からこのマミーズを手に入れること! そしてこの店を調合レストラン『パピヨン』に改装し、俺が独占したこの学園の食料は全てマダムバタフライに貢ぐのだ!」
「九チャン、まだバタフライさんのことを……」
「でもはっちゃん、そんな大声で喋っちゃったら、せっかくの悪巧みが台無しだよ」
「どうでもいいし、どっちでもいいから、俺のカレー早くしろよ」
「マミーズを乗っ取るなんて、このあたしが許しません!」
「フン。弱くフリフリな者よ。貴様如きが我が野望の前に立ち上がるとは、笑止なり!」
「……おやおや、穏やかではありませんね。一体なんの騒ぎですか?」のんびりとした口調ながら、老練な強制力で割って入る。
千貫厳十郎。
アイスピックの氷帝、と呼ばれる男である。「千貫さ〜んっ! 九龍さんがひどいんです〜!」
「そうですか。まあ、落ち着いて話してください」
泣きわめく奈々子からなんとか事情を聞き出した千貫は、深いため息をついた。
「なるほど、そういうことですか」
「千貫さんからも言ってやってくださ〜い!」
「フンッ、ジジイは引っ込んでろ!」
「……」
いきがってはみたが、千貫に無言で睨まれ「ごめんなさい」と謝る九龍だった。
「まあ、話は分かりましたが、店内で騒ぐのは感心しませんね。条約(※)のことをお忘れですか?」
※条約
先のサラダ戦争において、マミーズでの戦闘行為の禁止について署名された誓約書のこと。
通称『マミーズ条約』。立案・管理者は千貫。
その問題となった戦闘についてTOPで白岐が語ったこともあったが、現在はログ消失。
署名者は葉佩、白岐、皆守、肥後、墨木、黒塚、奈々子。
マミーズ側の人間であるはずの奈々子までもが含まれているのが特徴。
現在は通説的に署名者以外の一般生徒にも条約は適用されるとしている。
誓約書自体は公表されてないため、違反者に対する罰則等の規定内容は不明。
だが、署名者の異常な恐れかたから、とてつもない内容に違いないと噂されている。
「ひ、ひぃ〜! そっ、それだけは勘弁してください!」
「すみませんでしたぁッ!! 本当にすみませんでしたぁッ!!」
「……こういう光景を見るたびに思うんだけど、一体どんな条約なんだろうね?」
「あたしもその場にいればよかった」
「まあ、それはともかく、当たり前の話ですが、いくら新しい調理法があるからといっても、そう簡単に学園内での経営権を動かすわけにもいきません」
「くそっ! 大人はいつも空気を読まずに正論を押しつける! だから大人になんてなりたくないのさ!」
「へへ〜んだ! ばびょ〜んだ! ざまぁご覧くださいませ〜!」
「大丈夫だよ、九チャン。こんな大人の人だっているんだから」
「無関係な俺たちから見ても腹の立つ女だな」
「しかし……そうですね。このまま引き下がれといっても、九龍さんも納得できないでしょう」
「え?」
「千貫さん、なにを?」
「どうでしょうか? 奈々子さんと九龍さん。2人の料理対決で決着をつけるといのは?」
「なんだって!?」
「ええ〜〜!? あたしですか!?」
「騒ぎの張本人同士で、正々堂々と勝負しましょう。そして勝った方がこの店の権利を手にする。それが公平では?」
「よっしゃあ! その勝負、乗ったぜ! これだから厳十郎さん、好き!」
「おやおや、参りましたね」
抱きついてくるくる回る九龍を軽くあしらう千貫。しかし、奈々子は顔面蒼白だった。
「そんな……あたしなんて……」
「どうしました? できませんか?」
「あたし……」
「へん! 自信がないなら、やめときな! どうせ俺には勝てっこないんだ!」
「九龍さんはこう言ってますが、どうします? やめておきますか?」
「あたし……」
「奈々子さん、やめとこうよ。九チャンの挑発にのって、お店を奪われるかもしれないよ?」
「そうだよね。こういうの、何も勝負で決めなくても……」
「───や、やります!」
「ええっ!?」
「あたし、やります! 正々堂々、マミーズが正しいってこと、証明してみせます!」
「そうですか」
「奈々子さん……」
「クククッ、愚かな小娘よ! 調合の魔力を前に、人間など無力だということを思い知らせてくれるわ!」
「では、さっそくルールを決めますが」
「なんか、わくわくしてきたね」
「うん」
「フン、くだらねェな。どうでもいいけど、俺のカレーはまだなのかよ?」
「……いいですね、そうしますか」
「は?」
「カレー勝負にしましょう。明日の放課後、2人にマミーズでカレーを作ってもらいます。そしてより美味しい方の勝ち。ということでいかがですか?」
「ほほう。カレーか……まあ、いいだろう。俺に異存はないぜ」
「あ、あたしだって!」
「わー、楽しみだね」
「うん。なんだかドキドキするね」
「……おい!」
皆守が、珍しく声を張って呼びかけたことに、みんなが静まりかえる。
そして当の皆守が、ぶっきらぼうにそっぽを向いたまま、呟いた。
「俺はそんなくだらねェことに興味ないし、関係ないが、どうしてもというなら、俺が審査してやってもいい。お前らがどうしてもというのなら」皆守甲太郎。
カレーのわがまま王子、と呼ばれる男である。
───その夜。
マミーズの灯りは深夜が近づいても消えてなかった。
厨房の中ではただ1人、奈々子が本を片手に大鍋をかき混ぜている。
「……えーと、ターメリックをこのくらい……シナモンは、っと、えーと、このくらいかな……?」
ウェイトレスである奈々子に調理経験は少ない。
どうして千貫は調理担当ではなく自分を九龍との勝負に出すのか、今さらながら不明だった。
しかし、それこそ今さら言っても手遅れだ。
大々的に明日の勝負は店前に告知されてしまっているし、店長もわけがわからないまま、千貫の「良いですよね?」とひと言に頷かされてしまっているのだ。
良いわけがないのに。少なくとも店長や従業員にとっては。
引き下がるわけにはいかない。
マミーズの未来は今、奈々子とカレーに預けられているのだ。
それに、個人的にもどうしても九龍の言うことには納得できない。
早さ、味、それは確かに九龍の魔法のような調合にはかなわないかもしれない。
しかし、大事なのはそれだけではないような気がする。
確かに奈々子は勤めはじめて日も浅いし、失敗も多い店員だ。
そしてさっきは九龍の妙な説得力に反論もできなかった。
でも、自分にはファミレスの店員として、九龍に負けてはいけない何かを持っているように思えるのだ。
簡単にこの場所を譲ってはいけないと、使命のようなものを感じるのだ。
それが何かは、漠然として奈々子の中で固まっていない。
まるでのこのカレー鍋の中で無惨に溶けているジャガイモのように頼りないものだ。
「あ、ていうか、どうして溶けてるんですか〜〜!?」
自分には何ができるのだろうか?
どうすれば九龍に勝てるだろうか?
カレーという料理を通して、奈々子は自問を繰り返す。何度も作り直しては、何度も自分に問いかける。
確かに言えるのは、仕事で負けたくないという気持ち。
ファミレスという仕事に誇りを持っている。
それこそが奈々子のファミレス魂───略して『ファミレ魂』なのだ!
───バー『九龍』
「……もうちょっとキリのいいところで『ファミ魂』あたりにすれば言葉として落ち着くんじゃないですか?」
「もー、千貫さんったら、せっかく人が良いこと言ったと思ったのに〜」
「でもこんな時間までカレーの研究をさせてたんですか? ご苦労様ですが、少し頑張りすぎじゃないですよ」
「まだまだですよ〜! どうしてもこれだっていうカレーができないんです! ちょっと休憩したら、マミーズに戻ります!」
「おや、それはちょっと感心しませんね。今日はこれくらいにして休んだほうがいいですよ」
「そんなわけにはいきませんよ〜。だいたい、千貫さんが私に勝負しろって言ったんですよ〜!」
「確かに言いましたが……困りましたね。そんなに思い詰められるとは」
「だって、負けるわけにいかないですから! マミーズのためにも!」
カウンターを勇ましく叩く奈々子に、千貫はグラスを磨きながら微笑を浮かべる。
事の発端でありながら、他人事のような千貫の振る舞いに奈々子は焦れる。
「だいたい、どうして私なんですか〜? 料理勝負なんだから、マミーズの料理長がやるべきですよ〜!」
奈々子の言い分はもっともだ。千貫は苦笑を浮かべる。
「まあ、確かにそうかもしれませんが、九龍さんには負けますよ」
まるでメニューを案内するみたいに、当然の口調で千貫は言った。
奈々子は目を丸くする。
「トレジャーハンターの調合の技術を極めた者なら、最高の料理を一瞬のうちに作ることができます。まあ、九龍さんはまだその域ではないようですが、それでも、かなりの腕は持っているようですね」
「それじゃ、私なんかが勝てるわけないじゃないですか〜!?」
ますます愉快そうに千貫は笑う。
「そうかもしれませんね」
「ひ、ひどいです〜! 奈々子の純情をもて遊んだんですね〜!」
「そうかもしれませんね」
「ええ〜〜!?」
「冗談ですよ」
からになった奈々子のグラスを下げて、新しいグラスを差し出す。
そして「おわびに」とチョコレートの包みを付け足すことも忘れない。
慣れた仕草だった。
「……奈々子さんは、九龍さんに何で負けるんですか?」
チョコレートをさっそく口の中で転がす奈々子に、千貫は素朴を装う口振りで訊ねる。
「なにって、料理で、ですよ〜」
しょぼくれた奈々子は唇をとがらせる。
「料理の味と、早さに、ですか?」
「ですよ〜」
がっくりとうなだれて、恨みのこもった声で奈々子は泣く。
「あんなに手早くおいしい料理作られちゃったら、みんなそっちがいいっていうに決まってるじゃないですか〜! あっという間なんですよ〜! かないっこないですよ〜!」
「それでは」
ずい、と、千貫がカウンターに身を乗り出した。
思わず奈々子も身を引いた。
「あなたはいつも、お客さんに何を運んでいるのですか?」
「え?」
「おいしい料理ですか? 手早い料理ですか?」
「え、え?」
「暖かい料理ですか? 安い料理ですか? 栄養のある料理ですか?」
「え、え、えと?」
「楽しい時間ですか? くつろぎの時間ですか? 励ましの言葉ですか? 恋愛話の相談相手ですか? 笑顔ですか? 元気ですか?」
「え、いや、あの……」
一度に言われても、そう簡単に答えなど出てこない。
しかし千貫のまっすぐな目で見られると、まるで厳しい教師を前にした学生みたいに、萎縮してしまう。
自分の運んでいるもの。運びたいもの。
千貫の言ったどれかを選ぼうとしても、ぐるぐると別の答えが頭に浮かぶ。
パニクってしまう。
「さあ、落ち着いて考えてください」
千貫は、そんな奈々子を見透かしたように笑う。
「あなたがお客さんに届けたいものは、何ですか?」
ぐるぐる回ってる答えが、ぐるぐる回ったまま奈々子を動かす。
くらくらする頭で奈々子が見つけた答え。
奈々子が届けたいもの。
それは1人では運びきれないもの。
「……全部です。私はそれ、全部お客様にお届けしたいです」
千貫は、小首を傾げて、そして「なるほど」と1人納得する。
「それなら、多少手間がかかるのは仕方ありませんね」
「え……?」
思わせぶりに微笑む千貫に、奈々子は答えを見た気がした。
大事なのは、お客さんに届けるものが料理一つではないということ。自分の仕事はそれだけじゃないということ。
「はい! 私、頑張ります!」
千貫が、ピカピカに磨き終えたグラスを奈々子に差し出し、奈々子は自分のグラスを差し出す。
2つのグラスの重なる軽やかな音が静かな店内に鳴り渡る。
「マミーズの勝利に」
「マミーズの勝利に!」
高らかな勝利宣言に、ようやく奈々子の笑顔が戻る。明るさを取り戻す。
そしてそんな2人の笑い声の向こうで、ずっと空のグラスを抱えたまま無視されている劉瑞麗が舌打ちした。
じつは最初から居たのだ。
───翌日の放課後
「さあ、とうとうこの時がやってまいりました、運命のカレー勝負! 果たしてこの料理頂上対決を制するのはどちらなのか! 天香学園のヒマそうな学生たちが見守る中、今、宿縁の対決に決着がつけられようとしています! 本日の料理対決の実況は、成り行きでここに座ってるあたし、八千穂明日香と!」
「な、成り行きの取手鎌治でお送りしています……」
「はい、取手クン、もっと声を張っていこうね! そして本日の解説と料理の審査をしてくれるのはこの人! 天香学園が誇るカレーの達人! 日本で生まれたインド人! 皆守甲太郎クンです!」
「なんでお前はそんなに張り切ってるんだよ……」
「さて皆守クン、本日の対決なんですが、見所といえば?」
「あ、あァ、そうだな。カレーといえばありふれた料理だと思われがちだが、そう思われるくらいカレーは歴史も長いし、料理としてのバリエーションも豊富だ。具材やスパイスのみならず、どういうテーマで調理するかによって料理としての意味合いも変わってくる。単純比較するのはそれだけ難しいと言えるな」
「なるほど。カレーなんて家庭科で最初に習う料理だけど、スパイスいっぱい使った高級料理みたいなカレーだってあるもんね」
「言われてみれば、そうだよね。作り方だって人によって全然変わるし、どっちが上かの判断は難しいかも」
「まあ、カレーと名の付くものは全てカレーとして受け入れてきた俺の経験から言わせてもらえば、基本的なスパイスさえ押さえていれば日本ではだいたい全て『カレー』と呼ばれているし、俺もその考えは正しいと思う。カレーはいつも正しい。カレーはいつも正しい道を俺に教えてくれる。だから俺も、カレーパンだろうが本格インドカレーだろうがスープカレーだろうが、メニューとして出されたカレーは全て同等の料理として味わってるし、その完成度で評価している。中にはスパイスを放り込みすぎてバランスの悪い高級カレーもあれば、市販のルーから作った絶品の家庭カレーもある。材料や値段、手間数だけでカレーの評価が決まるわけじゃないのさ」
「ていうか、ほんと皆守クンって、カレーのことだけはよく喋るよね」
「つまり、これからはっちゃんと奈々子さんの作るカレーがどんなものでも、味の完成度で判断するってことだよね?」
「そういうことだな。どんな材料や調理法を見せつけられようが、カレーとしての完成度が低けりゃ話にならん。決めるのは俺の舌だ」
「さっすが、カレーにはそうとう自信あるんだねー」
「それじゃ2人は、そんな皆守君をうならせるようなカレーを作らなきゃならないんだね」
「あァ。だがここ数年、本当に俺を驚かせるようなカレーには出会ってないけどな」
そこまで言い切って、皆守はニヤリと唇の端を上げる。
「俺の評価は、どんなカレーよりも辛口だぜ?」皆守甲太郎。
カレーの最後の香辛料、と呼ばれる男である。「はい、カレー馬鹿のコメントでした! それでは大会委員長の千貫サンより、開会の挨拶とルール説明をお願いします!」
「こんにちは。まあ、なにやらおおげさな話になってしまいましたが、2人とも頑張っておいしいカレーを作ってください。調理時間は1時間以内。材料と道具はマミーズにあるものを使ってください。あせって火傷やケガなどしないように注意してくださいね。あと見学のみなさんも、頑張ってる2人を応援してあげてください。ただし、騒ぎすぎないように。以上です」
「老練な癒し系コメントありがとうございます! さて、対決開始前のキッチンコロシアムの様子を見てみましょう! 九チャンと奈々子サン、カレー作りのスタンバイはすでに出来ています!」「クククッ……これでマミーズは俺のものに……そしてマダムバタフライと俺で学園の食料を支配……権限(シマ)は俺たちのもの……」
「負けられない……マミーズは私が守る……いつまでもこの店で……そしていずれは店長に……権限(シマ)は私のもの……」「……なんだか、おいしい料理とは、かけ離れたところに2人はいるように見えるんだけど……」
「さあ、2人のボルテージもぐんぐん上昇中! そして戦いのゴングが今、鳴らされようとしています! リカちゃん、お願い!」ゴゴゴゴゴ………ズーン……ッ
「今、戦いゴングが学園のどこかで鳴らされました! 地響きとともに調理スタートです!」
「いや、どこで爆発したの……?」
「ていうか事前に許可とってないだろ、今の……」
「巻き込まれた生徒がいないことを祈るだけですね……」実況席の心配をよそに奈々子と九龍の調理はスタート。
大量のたまねぎを刻んだ奈々子が、深鍋に火をかけて炒め出す。
「おっと、奈々子サン、まずはたまねぎを炒めるようですが」
「いわゆる『あめたま』ってヤツだな。たまねぎをあめ色になるまで炒めてベースにする。家庭でカレーを作るときの一般的な手法だが、本場でも同様のものや、これをペーストにしたものがよく使われる。基本中の基本、と言ってもいい手法だろう」
「でもこれ、結構時間かかるんだよねー」
「電子レンジ使えば簡単にできるぜ。だが、こうした手間自体もカレー作りの醍醐味だけどな。まあ、今回の勝負には関係ないが、手間ヒマかけてカレー作るのも楽しいもんだ」
「へー」
「はっちゃんは、何してるんだろ?」そのとき九龍は、テーブルの上に広げた数々のパンフレットを前に、頭を抱えているところだった。
「なんか悩んでるみたいだけど」
「いわゆる『ウェディングプラン』だな。式場から衣装、式の内容はおろか、結納の段取りから親戚の宿泊先まで、最近では全部一緒くたに面倒見てくれるプランが多いんだ。だが便利な反面、どこまでがセットでどこからがオプションか分かりづらいから、気が付くととんでもない料金になってたりする。だから多少面倒でも自分たちで済ませれること、お願いすることを整理して、セットに入っててもいらないものはいらないとはっきり言うことだ。まあ、こういう行事ってのは、真面目にやろうと思えば金がかかって当然だけどな」
「完全に心ここにあらずだね」
「僕、こんな料理シーンは初めて見るよ」
「そんなことより、私は今の皆守さんの解説の流暢さが気になります」次に奈々子は豚肉を炒め、各種の野菜も鍋に投入した。
「奈々子サン、普通のカレーを作ってるように見えるけど」
「事実、普通だな。だが、カレーに王道なしだ。スパイスの種類や使い方、ほんのちょっとした工夫でカレーの味はがらりと変わる。出来上がるまで分からないのがカレーだ」
「でも……」
「どうしたの、取手クン?」
「奈々子さん、なんだか楽しそうに見える。カレー勝負だっていうのに」野菜を刻む姿も、肉を炒めるときも、奈々子はときおり鼻歌もまじるくらい、料理を楽しんでいた。
まるで、最愛の人に食べさせるための料理を作るように。「さては、アイツもカレーの魅力にはまったな」
「そうでもないと思うんだけど」
「でも、あんな風に作ってるの見てたら、完成が待ち遠しいよね」
昨夜の彼女を知っている千貫だけが、静かに微笑む。そして、開始から30分。
自分の衣装はシャアみたいなのにしようと決めた九龍が立ち上がる。
「さて、俺もそろそろ調合に取りかかるとするかな。クククッ……」「来た! とうとう九チャンが動きます! 出るか現代の魔法、トレハン調合術!」
会場のボルテージが一気に上昇した。
昨日の調合を目の当たりにした生徒からクチコミで広がった噂が、さらに大きな噂を呼び、たくさんの学生を動かした。
今ではなぜか、九龍の正体がファントムということになっている。
そして墓守の老人であり、生徒会副会長だということになっている。
さらに変生して青鬼になるという噂もあるくらいだった。
それらの真相をだいたい知っている千貫だけが、静かに微笑む。
「クケケケッ、蟻のように群がる愚民どもよ、見るがいい。これこそがトレジャーハンターの秘術。最後の魔法───、ザ・調合だ!」「……ところで、もうちょっといい技の名前なかったのかな?」
「いや、九ちゃんだしな」
「そっかあ」実況席のガッカリ感をよそに、いそいそと調合の準備を進める九龍が取り出したのは、レトルトのカレー。そして白米。それを気合いとともに両手で合わせて───。
───Compound!
「見よ! これこそが調合! そして調合によって作りだしたカレーだ!」
シン、と水を打ったように静まりかえる場内。
やがて、ざわざわとさざめく学生たち。「おっと、この微妙な反応はどうしたことでしょうか、皆守クン」
「まあ、それも無理ないだろう」
アロマの煙をゆっくりと吐き出しながら言う。
「どう見ても、レトルトカレーをごはんに盛っただけだからな」「クククッ……これだから刺激に飢えた腹ぺこ愚民どもは。ぷんぷん。よかろう。ならば見せてくれよう、真の調合の素晴らしき秘技を!」
反応が薄いことに不機嫌になった九龍が次に用意したのは生肉。
それとカレーを並べて───。───Compound!
「あああっ!? こ、これは───」
「すごい!」カツカレーだった。
一瞬の間に、生肉とカレーでカツカレーを作り出したのだ。「生肉が、からりと揚がってます! 今のは一体何が起こったんでしょうか! ほんの一瞬で、わけもわからないうちにカレーにカツが乗っています! 調理法も、物理法則も、カロリー計算もまったく無視! まさに奇蹟! 奇蹟の調合!」
八千穂の興奮につられたように、場内のギャラリーも沸き上がる。
「ククククッ……まるで石をひっくり返された春の虫のように大騒ぎしやがって。いいだろう。お前たち愚民キッズが求めるならば、さらなる秘術の扉を開いてみせようじゃないか!」
次に九龍が取り出したのは、新鮮な魚介類。───Compound!
「ああっと! さらに! さらにひと工夫! シーフードカツカレーです! 一瞬にしてカツカレーがシーフードカツカレーに変わりました!」
「驚くのはまだ早いぜ!」
ラーメン。
───Compound!「ラーメンシーフードカツカレー!?」
ハンバーガー。
───Compound!「ハンバーガーラーメンシーフードカツカレー!?」
プリン。
───Compound!「プリンハンバーガーラーメンシーフードカツカレー!?」
マンゴー。
───Compound!「マンゴープリンハンバーガーラーメンシーフードカツカレー!?」
鯖みそ煮込み。
───Compound!「鯖みそ煮込みマンゴープリンハンバーガーラーメンシーフードカツカレー!?」
舟。
───Compound!「鯖みそ煮込みマンゴープリンハンバーガーラーメンシーフードカツカレーの舟盛り!?」
「すごい……ただ単に食べ物で遊んでるだけって見方もできなくはないけど、ものすごい料理だ……」
「クポポポッ! 恐れおののけ愚民ども! これぞ調合の奇蹟だ〜〜ッ!」最初は盛り上がっていた場内も、次々に進む九龍の調合にやがてざわめき出す。
ギャラリーを支配している不安の正体は一目瞭然。
誰もがこう言っていた。九龍、やりすぎじゃね───?
「いつものことだけど、九チャンやりすぎだよね」
「正直、僕はシーフードカツカレーの時点で、もうクドくて食べれないと思った……」
「ちょっと周りがいい反応したら、すぐ調子にのるんだから。いやらしいなあ」
「で、でも、今の笑い方はモーグリみたいで可愛かったよね」
「ていうか、これを食べるのは皆守クンなんだけど……」
会場の視線が皆守に集まった。
だが、当の皆守は平然という。
「……何度も言うが、カレーに王道も限界もない」
そして、自前の皆守スプーンを取り出し。「俺はカレーと名のつくものなら、どんなものにでもスプーンを入れるぜ」
会場が、今日一番の盛り上がりを見せた。
その中で、普通に調理を進めている奈々子に注目しているのは、千貫だけだった。
最後に鍋をかき混ぜ、ひとくち味見して満足そうに微笑む奈々子に、千貫は目を細める。ゴゴゴゴゴ………ズーン……ッ
「しゅーりょー! 今、戦いの終了を告げる爆弾が学園のどこかで爆発しました! 両者、この地響きとともに手を止めてください! 調理終了です!」
「だから、ちゃんと学園の許可と避難措置はとってるのか?」
「そもそも爆弾である必要もないと思うんだけど……」「……よし、間に合った。私のカレー、完成です」
「クククッ、ちまちまとした作業、ご苦労だったな。だが、すでに勝負はこの時点でついている! 貴様の平凡なカレーごときが、俺の奇蹟の鯖みそ煮込みマンゴープリンハンバーガーラーメンシーフードカツカレーの舟盛りに勝てると思うなよ!」
一方的な九龍の勝利宣言。
だが、それに対して奈々子は自信の笑みを見せる。
「勝負は最後までわかりませんよ。奈々子は、自分のカレーに自信があります」
曇りのない笑顔だった。
九龍は、自分の調合を目の当たりにしながら、平静な奈々子の態度に不審に感じたが、どうせ強がりだとタカをくくる。
しかし、料理の出来を決めるのは、技のすごさではない。
決着は―――この男の舌にかかっているのだ。「ていうか腹すいたし、早くカレー持ってこい」
「あァ、うん。それでは、まず奈々子サンのカレーから試食の準備をお願いします!」
「はい!」真っ白なごはんに、カレーを持って出来上がり。
見た目にも変哲のないありふれたカレー。
それを大事そうにトレイに乗せて、自信に満ちた足取りで奈々子が皆守のテーブルに運ぶ。
いつもマミーズのように。「お待たせしました。奈々子特製カレーです」
テーブルに置かれる一皿の料理。
その皿に盛られてるのは、愛情と慈しみ。
手間を惜しまず、もてなしの心を込めて。
奈々子の真心が作り上げた料理が、今、最上の笑顔とともに温かそうな湯気を上げる。「ごゆっくりどうぞ」
「あァ」皆守のスプーンが奈々子のカレーを一口すくう。
誰もが固唾を飲んで見守る中、ゆっくりと皆守は咀嚼する。
慎重に味わって、一瞬、その表情が難しそうに歪んで、そして、驚愕に変わる。
「これはッ!?」
その皆守の表情の変化に、奈々子が身を乗り出した。八千穂がマイクを固く握った。
場内に緊張が走る。「普通だな」
「ええ〜〜〜ッ!?」あまりに微妙なコメントに、場内に「リアクションしようかどうしようか、でもそんなに面白くもないし、そんなテンションでもないし、周りの反応も薄いし」といった、クラス替え後すぐくらいの教室のような空気が流れた。
ズッコケてるのは、奈々子だけだった。
「ど、どうしてですか〜〜ッ!? ものっすごい愛情込めて作ったのに〜〜!?」
「何を込めて作ろうが、普通は普通だ」
「も、もうちょっと空気の流れを読んでくださいよ〜ッ! 味はまあ、確かに平凡かもしれませんが、たっぷりの愛情がこもってるんですよ〜〜! どこがいけなかったんですか〜〜!?」
「まずお前は市販のルーの他にクミンやコリアンダー、チリペッパーといったスパイスを加えているようだが、その香りや辛さが突出しすぎて全体のバランスを崩している。まぁ、素人のやりがちなミスだな。それと細かい点を言わせてもらえば、具に使った野菜の固さや大きさを考慮せずに適当に切って適当に煮てるからジャガイモは角が崩れてるしニンジンは固い。だが、市販のルーだけあってベースの味は出来ているし、スパイスのアンバランスも別に食えないってほどでもない。よってこのカレーを一言で評するなら、普通だ」
「奈々子、ショック〜〜ッ!!」
「さあ、これはとんでもない展開になってきました! 全校生徒を巻き込んで開催されたカレー対決、マミーズ代表の看板を背負い、夜遅くまで練習し、バー『九龍』で千貫サンといい雰囲気にまでなった完成した奈々子サンのカレーは『普通』! 『普通』という判定が下されてしまいました! これは奈々子サン、恥ずかしい! かなり恥ずかしいです!」
「……見てるこっちまで顔が熱くなってくるよね……」
「そうすると、あとは九チャンのカレーがどのように評価されるかですが、はたして!」
「あれ? そういえば、はっちゃんは?」そのとき、窓の向こうで高らかな笑い声が聞こえた。
日ざしの差し込む天窓に、逆光で浮かぶ謎の男の影があり。「フハハハッ! とうとうこのときが来たようだな! 今こそトレジャーハンターの誇る調合術が世界を制するとき! 料理界に真の革命をもたらす俺の名は―――」
「もしもその窓を割って入ってくるつもりなら、弁償してもらいますよ?」
千貫の冷静な忠告に従い、謎の男は黙って玄関から入り直した。「葉佩九龍、見参!」
「あーっと! さすが九チャン、さっきの奈々子サンの恥ずかしさも上塗りするくらい恥ずかしい登場です!」
「これ以上、身近な人のこんな姿は見たくないよ……」
「さあさあ、それでは出していただきましょう! 気がつけばさっきから秘密のはずのトレジャーハンター発言を連発している九チャンの調合カレー! 鯖みそ煮込みマンゴーなんとかカレーの舟盛りです!」
「クククッ! さあ、たんと召し上がるがいい! これが俺の調合の秘術を極めた極上の一品! 鯖のなんとか盛りだ!」
九龍の鯖みそ煮込みマンゴープリンハンバーガーラーメンシーフードカツカレーの舟盛りが皆守の前に運ばれる。
誰もがその異様な佇まいにおののき、身を引いた。
たった1人、何のためらいもなくスプーンを入れる皆守の姿にどよめきすら起こった。
誰もが固唾を飲んで見守る中、奈々子のときと同じように、ゆっくりと皆守は咀嚼する。
慎重に味わって、一瞬、その表情が難しそうに歪んで、そして、驚愕に変わる。
奈々子のカレーときとは違う、真の驚きの表情に。
「クハハハッ! 記念すべき最初の奇蹟の体験者よ! どうだ、俺の調合カレーは!? 他に類のない味の究極の果てが見えたか!? 黄金の味覚が見せる天国の味はどうだ!? どうなんだあ!?」
「かなりまずい」
「九龍ショック」「出た〜〜〜ッ!! 誰もが予想した見た目どおりの結果! そこに何のサプライズもありませんでした! 何の感動もオチもありませんでした! 勝者は奈々子サン! 勝ったのは普通のカレーでした!」
場内が、安堵の気持ちとその場のノリで沸き上がった。
その喝采の中心で、奈々子は飛び上がって喜びを表す。「やった〜! 私の勝ちです〜! へへ〜ん! どうですか、九龍さん!」
「九龍ショック」
「お疲れさまでした、奈々子さん」
「あ、千貫さん!」
「おめでとうございます。がんばった甲斐がありましたね」
「はい! 千貫さんのおかげです!」
「奈々子サン、おめでとう!」
「おめでとうございます、奈々子さん」
「ありがとう、みんな!」
祝福と笑顔が店内にあふれている。
何度も何度も奈々子は感謝に頭を下げて、そしてそれ以上の賞賛に迎えられた。
やがて自然に始まる奈々子の胴上げ。
マミーズばんざい。マミーズ最高。
喜びの声は止まず、いつまでもいつまでもマミーズは祝福に包まれるのでした―――。
*
「……っていう、夢を見たんだー」昼休みのマミーズ店内。
その中央近くのテーブルで、長い話を語り終えた八千穂の前で盛大に九龍がズッコケた。「夢オチかよ!? しかも、やっちーかよ!?」
「まァ、そうなんだけど」
「今どきそんなのありなわけ!? しかも俺の悪役っぷりときたら、またひどいな!」
「やっぱダメかな?」
「いや待て、そんなことはないな。むしろそういう無謀なことするやっちーが、俺は大好きだぜ! いやっほう!」
「はっちゃんがそういうなら、僕も夢オチを応援するよ」
「ええーっ、なんか照れるなあ」
「なになに〜? みんなでなに盛り上がってるんですか〜? 奈々子もまぜてくださいよ〜」マミーズは今日も盛況。
盛り上がる九龍たちのテーブルに奈々子まで加わり、楽しいおしゃべりは尽きそうもない。
この気安さと楽しさがマミーズの人気の秘密。
いずれこの学園を卒業する彼らの思い出の1ページにも、きっとこのマミーズでのひと時も刻まれることだろう。
マミーズは、今日も天香学園の生徒たちに愛されて営業中である。
だが、そんなことより、俺のカレーはまだかと思う皆守だった。
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